奔る

若い学生が、世界の見方を探していく手記

病む

夏休みの終わりが近づき、子どもたちの痛ましい死が頻繁にテレビで報道されている。本来無邪気に遊べる年代の子が、孤立し、ついに自死を選ばざるを負えない程に追い込まれてしまったことに深い嘆きを感じる。
 
私は昔から死というものに臆病で、事あるたびに病や死というものに激しい恐怖を感じる。なによりも、いつまで続くか分からない闘病生活で死を待ったり、障害を抱え大きく自由が奪われた状態に精神が耐えきれる自信はない
 
今年上半期は今までの人生で最も体調が悪い期間であったので、いろいろ思うところがあった。胃腸炎から始まる、過敏性腸症候群がいつまでも治らず、本当に死ばかりを考えて、狂いそうな時期もあった。おそらく受験ノイローゼかそれに準ずる精神状態であり、鬱やパニック障害統合失調症という精神疾患に敏感に反応し、多くの冷や汗を流しながらも、なんとか受験を乗り越えた。
 
そういった激しい恐怖と不安を体験して、今までに自分がしていた幾つかの誤解に気付いた。1つは、精神疾患は「心の病気」ではないという事。これは多くの人が誤解している点だと思う。心というのは単に脳の状態をそう呼んでいるに過ぎず、不安や恐怖というのは実際に存在するわけではない。脳の状態が長時間偏った状態が鬱であり、それは身体への症状へと繋がる。精神疾患は脳という臓器の病であり、そういう意味では他の臓器の病と考え方は変わらない。他の肉体の病と違い、うつ気味になると自分の性格のせいにして自分を責めてしまう傾向があるが、脳も肉体の一部である。
 
脳の状態というのは外的要因が作るものなので、周りの環境をどうにかしなければいけない。これは時に難しいことであるが、そこでさえ勇気を出せれば脳の状態を改善させる大きな一歩と成る。
 
ここで話は逸れるが、たまに免疫機能が間に合わず、細菌やウイルスによる攻撃や炎症により体調を崩すことがある。炎症は、内臓、神経系、器官の順番で危機感を持って注意して良いと思っていいと思う。私は今年の初めに胃腸炎を患った。通常1週間で治るらしいが、自分の場合は一度治ってきたと思ったら、続いて過敏性腸症候群になった。イギリスのある論文によると、腸炎患者の3人に1人が続いて過敏性腸症候群になるらしい。治ったと思っても、しばらくは無理に消化に悪い物を食べずに胃腸を静養させていたら結果は変わっていたかもしれない。自分の場合はさらに受験が重なり、肉体と精神に甚大な負担をかけた。腸内環境と神経系には密接な関係があるらしく、そのお陰で計画的に進めてきた受験生活が、精神的にとてつもなくキツイ受験生活となってしまった。
 
話を戻す。先述した通り、脳というのは臓器の一つであり、感情や人格というものも別に多くの人が考えるように崇高なものではない。脳は電気回路であり、身の回りの物理現象とまったく同じ原理に従い作動する。他の臓物も同様である。生命というのは、決して宇宙における例外的な現象ではない。
 
そう考えると、身の回りのことに対して悲しくなったり嬉しくなったりするのがなんだか馬鹿らしく思ったりもする。しかし、残念ながら人間は、下らない事で悲しくなったり喜んだりする。脳の状態というのは、残念ながら我々の意思とは別の所で変わってしまうようだ。
 
では、人間はどうすれば幸せになれるのだろう(幸せという状態になるのだろう)。
まず下らない事で悲しくなったり辛い思いするのは避けたい。経験上、深刻に脳が不安や恐怖の状態に偏っていると、ただ必死に「自分の考え方を変えよう」と、努力したってそれは難しいと思う。思い通りにいかず、余計に辛い。人間の考え方や性格は、変えたいという根性では容易には変わらず、新しい考えに納得がいった時に初めて変わる。
 
脳がいわゆる不安や恐怖という状態に陥ると、扁桃体から延髄を通って体中の自律神経に情報を伝達する。継続的にこの状態に偏ってしまうと、あらゆる体への症状となって、他の臓器(特に消化器官)にまで影響を与える。しかしそれを和らげるように脳を書き換える方法があるらしい。ある研究によると、運動により延髄の信号伝達物質が減少することが明らかにされたらしい。脳という電気回路を書き換えることにより、他の体の部位への負担を減らすことが出来る。とても合理的な方法である。
 
継続的な睡眠、食事、運動は、免疫機能と諸内臓に対して最低限のケアであると思う。環境に負けない体作りが、すべての基礎になると私は気づいた。自分の体験が誰かの助けになることを切に願うばかりである。どうか、辛いこの世で幸せに生きて欲しい。